穴切大神社(あなぎりだいじんじゃ)
■住所:山梨県甲府市宝 地図
■創建; 和銅年間(8世紀始)
■本殿の様式; 一間社流造檜皮葺
■例祭; 4月19日
■御祭神; 大己貴命(おおあなむちのみこと)、少彦名命(すくなひこなのみこと)、素戔鳴命(すさのおのみこと)
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■雑感
桜が満開の時に訪れた。境内は甲府市の中心近くにあるため開発が進み北隣にはマンションが建っている。本来ならば鎮守の杜がいいのだが・・・これは時代の流れと不満を振り払う。宮司さんからもお話を聞くことが出来、少し前の繁華街といえばこの辺りが中心だったようだ。昔は崇敬者も多かったようだが、最近は減少しているという。これは、全国どの神社も同じで、神道離れが大きな原因だろう。
鳥居をくぐると入母屋造平入の髄神門、寛政六年(1794)建立の甲府市指定有形文化財がある。立派な彫刻は素晴らしい。しかし、老朽化が懸念され保護策が懸念という。神門を抜けると右手に神楽殿があり、拝殿となる。本殿は桃山時代のものとなり、重要文化財に指定されている。最近有名なのがサッカー神社としてもメディアなどにも取り上げられ知名度が増しているという。試しに3メートル離れた所から挑戦してみたが、さすがに下駄でボールは蹴りにくく三回蹴って全てはずれ。
そして、山梨県内にはいくつかの湖水伝説にまつわる神社が存在するが、ここもその一つとなる。和銅年間の8世紀始に当時の甲斐国司が湖を平地化する事を発起し、朝廷に奏上するとともに国造りの神である大国主神(大己貴命)に祈願した上で盆地南部の鰍沢口(富士川町)を開削し、富士川へ水を落として盆地一帯を水田化するという大事業を行ったとある。この湖水伝説が本当だとして、いったいどれ程の規模だったのかと想像するのは楽しい。盆地を取り巻く遺跡群では金生遺跡(標高約750M)・釈迦堂遺跡(標高約400M)が有名であるがいずれも縄文時代のものとなる。とすると縄文時代には標高350Mあたりまで水があった可能性もあるのではないか。想像するだけでも楽しくなるこの疑問は今後の調査・研究対象に相応しい。
■甲府盆地の湖水伝説・山梨県
境内社 |
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神明社;
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塩釜社 | |
稲荷大明神 | |
道祖神社 | |